貴方の南瓜

新人メディカルソーシャルワーカーKabochanによる紳士的なブログ

半身不随で意思疎通もできない人間の幸せって何? っていつも思う

 

つい最近、祖父が脱水で入院した。流石に90歳にもなると昔みたいに元気にとはいかないらしく、退院してからも活動性が著しくおちた。

1年前は家事も全部自分でやり、隣人(これもまた90を越えている人なのだが)の買い物のために自転車を走らせていた。

 

祖父は皮肉屋というか、ことあるごとにジョークを言いたくなってしまう性質を持っている。このジョークに終活が加わったのが10年くらい前のこと。「もう長くないで」と言いながらガハガハ笑っていて、いや、死なんやろこの人とみんな思っていた。

ただ、もう最近はそれが本当に冗談でなくなってきて、ガンも転移してるわ抗がん剤は飲んでるわご飯もまともに食べれなくなったわそもそもベッドから動かないわでいよいよ現実味を帯びてきた。

僕個人としてはいつ死んでもらっても構わないと言う気持ちでいる。好きな時に死ねば良い。それができないのが人生の難しいところで、面白いところでもある。

 

勤務先の病院でも、看取りの方向で家族も病院側も同意していた人が、家族が連れてきた愛犬を見た途端意識を回復させはじめた。これには医者も看護師もたまげていた。

一方で、重度の麻痺と失語を重ねた人もたくさんいる。失語とは自分の頭では思考ができるが口から言葉が出ないと思ってくれれば良い。自分の意思で動くことも、意思を伝えることすらできない。そういう人、その家族にとって何が幸せかというのが今の自分では理解できない。

長く生きるのが幸せなのか。死ぬのが幸せなのか。

 

以前10年目のMSWの人に、ソーシャルワーカーとは人を幸せにする専門職だと言われた。同じ人に上記のような麻痺と失語の人は幸せになりたいと思っていると思うか?という問いかけがあった。

それに答えるのはかなり難しくて、わからないと僕は答えたが、その人は「どんな人でも幸せになりたい」と言い切った。まあ、そうだよなあと僕は思った。

人の幸せを叶える手伝いなんて、大層おこがましい仕事である。結果が数字になるわけでもない。関わったところでその人が絶対に幸せになるというわけでもない。他職種連携とかどうとかの中にいるものの、やれることなんてごくごくわずか。給料も低いし休みも少ない。

25歳そこらの若造が、人を幸せにするために仕事にするには少し人生経験が足りなすぎるのではないかとも思うが、患者や家族にとってそんなことは一つも関係がない話なのだ。

まとめると、幸せってなんやねんっていう話やねん。

 

 

 

 

 

ちなみに僕が幸せな瞬間はFPSで敵をヘッドショットキルする時

 

Kabochan.